ブログ

2009年12月 3日(木)

【連載インタビュー】 ~第1回 中谷 圭介主将 ニューイヤー駅伝に向けて~

JR東日本 ランニングチームには現在、15名の選手が在籍しており、その1人1人がそれぞれに、いろいろな思いを胸に競技に取り組んでいます。
そこで、【連載インタビュー】と題して、選手1人1人にスポットを当て、その素顔に迫ります。
選手の人となりや、陸上に対する考え方などを知っていただける内容になっていますので、最後までじっくりとお読みください。

さて、記念すべき第1回目は主将としてチームを引っ張る中谷圭介選手の声をお届けします。
高校・大学時代の思い出と共に、駅伝への思いについても熱く語っていただきました。

091203_photo1.jpg中谷 圭介主将 (運輸部 企画課)

(まずは、高校時代のお話を伺いたいと思います。兵庫の西脇工業高校は駅伝の強豪校として全国的に知られていますが、名門ならではの苦労などはありましたか?)
キツい練習など、練習面で大変なことはもちろんありましたが、特に大変だった記憶があるのは先輩・後輩などの上下関係の厳しさですね。いろいろな人に対するあいさつや礼儀、感謝の気持ちを持つことの大切さなど、基本的なことは自然とできるようになるまで植えつけられました。

(西脇工業は、やはり都大路(全国高校駅伝)で活躍することを、ある意味で宿命づけられているというような印象がありますが、そこはいかがでしたか?)
そういう雰囲気はもちろんありました。ただ、実際にそれを自分自身が考えるようになったのは3年生になってからですね。一番上の学年になって、結果を出さないといけないっていう意識になりましたし、これだけ厳しい生活をしているんだから頂点とらないと割に合わないなっていう気持ちもありました。「ここまでしたんだから優勝させてくれよ」っていう願望みたいなものに近かったかもしれませんね。

(そんな厳しい高校生活の中でも、特に印象に残っているレースはどんなものですか?)
ちょうど10年前の高校3年生の時の兵庫県駅伝(全国高校駅伝の予選)ですね。当時、兵庫県では西脇工業の他に報徳学園も有力視されていて、実力がかなり拮抗していたんです。下馬評では報徳が有利とも言われていました。その年は記念大会の年で、県の予選で万が一負けたとしても、近畿大会で都大路の切符を手に入れられる可能性は残されていたんです。ただ、同じ都大路に出るといっても、兵庫県のゼッケンで出るのと、近畿地区代表のゼッケンで出るのでは、気持ちの面で全然違いましたし、何よりも自分たちのプライドが許さなかったので、県の予選で都大路を決めたい、という強い思いがありました。
そんな中、自分は3区を任されて、報徳に40秒近い差をつけられた状態で襷を受けました。とにかく勝ちたい気持ちが強かったので、必死に走ってその差を逆転し、チームは優勝。都大路の切符を手にすることができました。兵庫県は全国でも有数の激戦区ですから、1人の失敗が命取りになります。でも、駅伝では本来ちゃんと走るべき選手がプレッシャーなどから実力通り走れないということはよく起こることです。この時もそういうことが起こりましたが、その失敗を他の選手が取り返すことができるのも駅伝ならでは、だと思います。そういった駅伝の醍醐味を感じることができた、という意味でもこの駅伝は特に印象に残っていますね。

(ちなみに、その年の都大路の結果はどうだったんですか?)
仙台育英高校に2秒差で負けてしまいました。激戦区を勝ち抜いたからこそ優勝したかったのですが...その2秒差というのは甘さがあったというか、まだ足りない部分があったのかなと思います。練習面でも、生活面でも、そういう日々の積み重ねが大事だと感じましたね。

(濃密な高校3年間を経て日本大学に入学されましたが、入学を決めた理由やきっかけなどは何かありますか?)
まず、何よりも箱根駅伝を走りたいっていう気持ちが強かったのが大きいですね。中学生の時に渡辺康幸さん(現早大駅伝監督)の走りを家族みんなでテレビで見ていて、家族に箱根を走ってやるって約束をしていたこともあって。だから関東の大学に行くことはずっと考えていました。日大も含め、いくつかのチームから勧誘を受けましたが、正直なところ当時はどこの大学が強いとか、有名な大学とかは全然知らなかったんです。みんな同じ東京の大学みたいな感覚で(笑)  
でも、その中でも当時の日大の監督さんが特に熱心に勧誘をしてくださった、というのと西脇工業の1つ年上の先輩の清水兄弟(将也さん:旭化成、智也さん:佐川急便)が日大に進学していた、というのも理由の1つですね。高校時代から清水兄弟の影響を受けていた部分が大きかったので、大学でも一緒に走れたらいいなって。

(どんなところに影響を受けられたんですか?)
走りのスタイルがかっこよかったんです。特にお兄さんの将也さん(2009ベルリン世界陸上マラソン日本代表)の攻めの走りというか、積極的な走りがすごくかっこよくて尊敬していました。

(上下関係などが特に厳しかった高校時代に比べて、大学での生活はどうでしたか?)
正直なところ、意識の差に驚きましたね。普段の生活で高校時代とのギャップがとにかくすごくて...高校生の時はコンビニに入ることやジュースを飲んだりすることにも戸惑いがあるような生活だったので、大学では基本的に各自に任されているっていう部分などは入学当時あまり馴染めませんでした。

(競技の面などではいかがでしたか?)
1年生の時の日大の箱根に対する目標が「シード権をとろう」だったことに少し疑問を感じましたね。箱根駅伝において、シード権を獲得することも大変なことですし、当時はあまり強くなかった日大では、それでも十分な目標だったのかもしれないんですが...シードってことは7位とか8位を目指すってことでしたからね。

(高校時代は全国優勝を目指していたのに比べると...確かにそうですね。)
全国2位でしたけど、やっぱり全国制覇を目指してやってきた自分にとっては、「難しいかもしれないけど優勝を目指そうよ」っていう気持ちは1年生ながら抱いていました。2年目以降は箱根駅伝の難しさなどを思い知ったので、シード権の大切さも十分痛感させられましたが...。

(そういう思いの中、むかえた初めての箱根駅伝はいかがでしたか?)
1年生で1区を任されて、区間5位で走れました。「自分はやってやるぞ」っていう強い気持ちで臨んだレースでしたし、この結果を出すことができて箱根駅伝でも通用するかなって、この時は思いました。ただ、今思うと、これで少し調子に乗ってしまった部分があったかもしれません。

(どういった点で、そう思われるんですか?)
1年目でそれだけ走ることができたら、2年目以降はもっといけるだろっていう驕りが少しあったかもしれません。ですが、すぐにそんなに甘くないってことは痛感させられました。2年目の箱根で、練習はしっかり積めていたはずなんですが、5区を走って区間13位とブレーキを起こしてしまって...チームもシード権を逃すなど、箱根駅伝の恐ろしさ、難しさを身をもって思い知りましたね。

(3年生になって、箱根駅伝に向けたチームの目標などに何か変化はありましたか?)
2年目にシード権を逃しはしましたが、「シードはとって当たり前。優勝を目指そう」っていう風に変わってきましたね。自分自身も2年目の失敗を踏まえて、もう一度気持ちを入れ替えてしっかりしないといけない、と。その結果、3年目は全日本大学駅伝で3位、箱根駅伝でも3位となかなかの結果を残すことができました。しかも、箱根は予選会からの3位でしたからね。手応えはかなり感じました。

(そうなると、当然4年目は優勝をより強く意識されたのではないですか?)
そうですね。最高学年になって、自分たちがチームを作り上げていく立場になるので、優勝するためにチーム全体の結果にはこれまで以上にこだわるようになりましたね。下の学年の選手たちも力をつけていましたし、十分優勝を狙える布陣でもあったので。残念ながら、結果は10位でギリギリでシード権はとったものの、優勝とは程遠いものでした。それでも、自分たちで色々と考えて作り上げたチームで臨んだ4年目の箱根は、大学時代のレースの中でも特に印象に残っています。ブレーキを起こした2年目の箱根も同じぐらい(笑)

(結果があまりよくなかったレースが印象に残っている、というのもちょっと皮肉な感じがしますね。)
確かにそうですが、逆にそれが自分がこの年まで競技を続けるモチベーションの1つになっているのかな、とも思います。高校時代はあと一歩のところで全国制覇を逃したことが「大学では絶対にやってやる」っていう思いにつながりました。大学時代も箱根駅伝で満足のいくよな結果を残すことができなかったことが、実業団でも競技を続けていくことのきっかけのような...次のステップに進む度に何かしらの課題があったからこそ、やってこられている気がします。そして、何より高校時代からずっと支えてくれている両親や家族の理解があってこそ、走り続ける気力が湧いてきますね。

(学生から実業団へ、次のステップに進みましたが、学生と実業団の違いに戸惑ったりすることはありませんでしたか?)
これと言って特別変わったことはありませんでしたね。駅伝で結果を残すっていうチームの目標を達成するために個人としてどう頑張るか、というスタンスはほとんど同じですよね。会社で働くことだって、学生の時の授業のようなもの...もちろんお給料をいただいているという点では意識は全く違いますが、競技以外にもやるべきことがある、という点で変わりはあまりないように感じます。
その反面、自分自身で学生の頃の自分と大きく変わったなと思うこともあります。高校、大学と故障を一度もしたことがなかったんですが、実業団2年目で初めて故障をしてしまって、その時はかなりヤバかったです。走れない2ヶ月がすごく長く感じました。それから、練習後のケアは念入りにやるようになりましたし、食事などへの気配りもそれまで以上にするようになりました。故障した人の気持ちが理解できるようになったのも変わった点ですね。

091203_photo2.jpg
「中央線が好きだ」と書かれた、中央線沿線価値向上プロモーションの卓上カレンダーを持って、中央線をPRする中谷主将。

(現在、チームをまとめるキャプテンという立場ですが、何か気をつけていることなどはありますか?)
走りでチームを引っ張ることはもちろんなんですけど、選手1人1人と話をするように心がけています。1人1人、競技に対する思いだったり、考えていることは違いますし、そういうことを聞いて理解することが大切だと思っています。その上で選手同士、あるいは選手とスタッフのパイプ役になれたらな、と。キャプテンのあり方に正解はない、というか...いろんなキャプテン像があってもいいと思うので、自分はそういうキャプテンでありたい、なれればいいなって。

(そのキャプテン像はどなたかを参考にされているんですか?)
西脇工業の3年間、日大の4年間を共に過ごした藤井選手(現日清食品グループ)の影響ですね。大学4年生の時のキャプテンが藤井くんで、その時のキャプテンとしての取り組みを参考にしています。積極的に下級生たちとコミュニケーションをとって、チームをまとめていこうとする意識が見えて、その姿勢がすごいと思いました。だから、自分がキャプテンをやる上でも、それをお手本にして「理想のキャプテン像」に近づけるようにしています。恥ずかしいので本人には絶対に言いませんが...憧れの藤井くんです(笑)

(では、ご自身の走りの特徴、長所や短所はどのようなところですか?)
特徴は...スピードがないことですね。短所とも言えます(笑) 逆に長所は、試合は走れるっていう自信のような自己暗示のようなものを持って、試合に臨めることですね。どんなに満足のいく練習が積めていなくても、試合は走れるんだっていう意識は常に持つようにしています。

(確かに、試合での安定感には特に定評がありますね。)
満足のいく練習ができなくて、落ち込むことがあっても練習で失敗することを恐れないように自分に言い聞かせます。自分の場合、試合になると集中力が練習の時より増すのか、練習以上のパフォーマンスが出せることがあるんです。そういう自分の特徴が分かっているからこそ、練習の内容が悪くても、あまり気にしないようにしています。都合の悪いことは忘れることも大切だと思いますね。根拠のない自信を持つことも時には必要かなって(笑)

(では、最後にニューイヤー駅伝への意気込みをお願いします。)
今年の1月、チーム最高順位の12位でゴールできたこと、先日行われた東日本実業団駅伝で8位入賞を果たせたことなど、チームに対する期待が強まってきているのはすごく感じます。この結果からしても、今のチームはこれまでのランニングチームの歴史の中で一番強いチームであると思います。そのチームで来年の元日、どこまで戦うことができるか。そして、選手だけでなく応援してくださる方々にも、そういうチームなんだっていう意識を持っていただけたら嬉しいですね。

(応援してくださる方々にも、というのは?)
過去最高のチームだと思うからこそ、勝負できているかという視点で応援していただけたら、と思います。勝負するチームだからこそ「一緒に頑張ろう!」という思いでサポートや応援をしていただければ、その思いは必ず選手たちにも伝わります。サッカーじゃないですけど...選手とサポーターが一丸となって、というのが駅伝にも必要だと思うんです。あとは、選手たちがプライドを持ってレースに臨めるかどうかだと思います。それは走る選手も走らない選手も変わりません。全員が一丸となって、挑むの精神を持って戦えば、結果は必ずついてくると思うので、残りの1ヶ月をしっかりと有意義に過ごしたいです。

091203_photo3.jpg

高校時代から、各世代の駅伝最高峰のレースに出場し、駅伝の醍醐味も恐ろしさも経験してきた中谷主将ならではの、ニューイヤー駅伝にかける並々ならぬ思いを感じていただけたのではないでしょうか。
個の力を集結させて戦う駅伝ですが、チームとしての結束や思いの強さも駅伝においては大きな武器になります。
力強い走りと、1人1人への細かい気配りでチームを束ねる中谷主将の元日決戦。どうぞご期待ください。

<インタビュー・編集  駒野 亮太(総務部 広報課)>

ページの先頭へ