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2010年2月 8日(月)

【連載インタビュー】 ~第3回 高谷 将弘選手 絶対的スピードを武器に~

ルーキーイヤーの今年、そのスピードを武器に日本選手権1500mで3位入賞などの快挙を成し遂げた高谷選手。また、先日行われたニューイヤー駅伝では重責のかかる1区を任され、その大役を果たしました。陸上を本格的に始めたのは高校からという高谷選手の、これまでの歩みを振り返っていきましょう。

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(まず、高校時代のことを聞かせてください。)
小・中とサッカーをやっていて、陸上は高校から本格的に始めました。陸上を始めた時に一番衝撃だったのはランニングパンツの短さでしたね。サッカーのハーフパンツよりもかなり短いので、最初はかなり恥ずかしかったです(笑)部活一色の生活だったので、普通の高校生らしい生活を送っていました。

(サッカーから陸上に転向した経緯はどのようなものですか?)
中学時代にサッカー部とバスケ部の合同チームで市の駅伝大会に出場して、優勝したことなどからサッカー部の顧問の先生に勧められて、陸上に本格的に取り組んでみようと思いました。最初のうちは練習のやり方などもよく分からなくて、高校1年生の時は練習をしっかりやっているとは、とても言えない状態でした。
でも、高校2年生になってから目標を明確に持つことが出来るようになってきて、1500mで関東大会に出場することができました。3年生の時は、800mと1500mでインターハイにも出場できて、年々レベルアップしているのを実感できましたね。

(3年生の時のインターハイの結果はどうだったんですか?)
800mも1500mも予選落ちでした...。全国大会の雰囲気に呑まれてしまった感じです。サッカーをやっていた時期も含め、全国大会に出場すること自体が初めての経験だったので、出場することに満足してしまったんだと思います。

(ベストレース、印象に残っているレースはありますか?)
3年生の時に出場した東海大学記録会で1500mを3分53秒00で走ることができて、印象に残っています。そのレースで手応えを感じることができたことで、大学でも競技を続けたいと思えるようになりました。神奈川県の高校記録に迫るタイムで走れたこともそうですが、自分の今後の人生を決めるキッカケとなったレースという意味でも印象深いですね。

(駅伝には出場しなかったんですか?)
部員の数が少なくて、人数はギリギリの状態でしたが出場はしていました。2年生の時から(高校駅伝では最長の)1区を任されましたが、あまり目立った結果も残せずに終わってしまったので、残念ながら高校時代の駅伝での思い出はほとんどないですね。

(では、大学では駅伝に力を入れようと思って国士舘大学に入学されたんですか?)
いえ。正直なところ、箱根駅伝のイメージはなかったです。国士舘大学に決めた大きな理由は2つあって、1つは陸上部があること。もう1つは体育の教員免許を取りたかったので、国士舘大学に決めました。当時の国士舘大学は箱根駅伝の常連校という感じではなかったですし、大学でも1500mを中心にやっていきたいと思っていたので。

(体育の教員免許を取得するために入学した、ということですが、なぜ体育の教員免許をとろうと思ったんですか?)
中学の時にすごくお世話になった、サッカー部の顧問の先生が体育の教員だった、というのが大きいですね。今でも、大会やレースの度に連絡をとったりしています。憧れの先生なので、そんな風に自分もなりたいなと思って体育の教員免許を取ろうと思いました。

(競技の面では1500mで勝負するために国士舘大学を選んだということですが、2年生の時には箱根駅伝デビューを果たしていますよね。)
国士舘大学には中距離ブロックがなく、短距離か長距離という大きな分かれ方だったので、必然的に長距離ブロックに所属するようになりました。そうなると長距離の夏合宿にも参加しますし、チームは箱根駅伝に向けて動いていくので、自分もそっちにシフトしていきました。大学1年生の時は夏合宿の練習にもほとんどついていくことができず、高校時代の積み重ねの大切さを知りましたね。
2年生になって、長距離の練習や夏合宿もある程度しっかりできるようになったおかげで、秋口に出場したハーフマラソンで1時間5分で走ることができたことが評価されたんだと思います。

(初めての箱根駅伝はいかがでしたか?)
とにかくキツかった、という思い出しかありません。「中距離選手のために」と短くなった最短区間の4区を任されたんですが、区間19位とブレーキを起こしてしまいました。最下位で襷をもらって、前のチームとの差を少しでも縮めないといけないのに、逆に差を広げられてしまい、後続の選手たちに申し訳ないことをしてしまいました。
この時は単純に力がなかった、ということに尽きると思います。走りながらあまりにもキツくて沿道からの応援すらも苦痛に感じてしまいました。終わった後は本当に泣きそうになって、陸上をやめたいとも思いましたね。

(その経験を3年目以降に活かすことはできましたか?)
3年生の時はレース直前に発熱してしまって走ることはできませんでした。でも、4年目は3区を任されて、区間6位とまずまずの走りができました。その時の3区は他大学のエース級の選手たちが集まっていましたし、その中で区間6位になれたのは素直に嬉しかったです。自信を持ってスタートラインに立つことができて、レース自体も楽しむことができたのが要因だと思います。

(1500mをやりながら箱根駅伝に出るというのは、かなり大変だったのでは?)
大学の監督から、春先のトラックシーズンは1500m、5000mでしっかりとスピードを磨いて、夏からしっかり走りこむように言われていました。なので、夏合宿の初めの方は他の部員からの遅れを取り戻すのが大変でしたが、1ヶ月ぐらいしっかりと走れば足並みは揃ってくるので、それほど大変だと感じてはいませんでしたね。

(トラックシーズンと駅伝シーズンでメリハリをつけていたわけですね。)
そうですね。1500mは大学2年生の時から現在まで、出場したレースは全て入賞していますし、常に勝負できる感覚はあります。その感覚を保ちつつ、駅伝にうまく合わせていくことが大切だと思うので、距離走の後なども個人的に流しを入れたりして、スピードの感覚を鈍らせないようにしていました。自分の最大の武器であるスピードをしっかり活かせるように常に心がけています。

(出場したレースは全て入賞、というのはすごいですね。)
1500mになると自然と自信を持って走ることができるというか、多少調子が悪くてもレースの流れの中で上手く走ることができるんだと思います。ただ、今まで優勝は一度もしたことがないんですよね。高校時代も神奈川県には強い選手がいて、ずっと勝てませんでしたし...入賞はできるけど優勝はできないというのが、もどかしいです。

(大学時代のベストレース、思い出深いレースを教えてください。)
やっぱり、4年生の時の箱根駅伝が思い出に残っています。年を重ねるごとに距離に対する不安がなくなってきて、自分自身の成長を実感できている中でのレースでしたから。
あと、それと同じぐらい思い出深いのは4年生の四大学対抗ですね。5000mに出場して大会新記録の13分50秒で走ることができ、MVPにも選ばれました。それに加えて、国士舘大学が初めて総合優勝(男子)できた大会でもあったので、個人としてもチームとしてもベストレースだったと言えると思います。

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(JR東日本に入社して、まもなく1年が経ちますが学生と実業団の違いはどのようなところだと感じますか?)
大学は監督が絶対的というか、監督が考えた練習メニューをチーム全員が同じようにこなしていくことが多かったのに対して、実業団は監督やコーチと相談しながら練習メニューを調整できることが大きな違いだと感じています。監督と選手が対等に話ができる環境で、選手自身からいろいろとアプローチをすれば、それに応えてもらえるのは実業団ならではだと思います。ただ、大学と実業団では選手の人数が全然違いますから、大学でそういうスタイルでやるのは難しいだろうな、とも思います。

(その違いに戸惑ったりすることはなかったですか?)
それは特になかったですね。ですが、1人1人に合わせて練習メニューが組み立てられるというのは、裏を返せばサボることもできてしまうんです。だからこそ、自分自身が意識を高く持たないといけないと言い聞かせています。

(仕事をしながら競技に取り組むことは大変ではなかったですか?)
仕事と競技の両立は可能だと思っているので、大変だと感じることはほとんどありませんでした。職場の方々もすごく親切にしてくださいますし、この1年間を楽しく過ごすことができたと思います。

(1年目から日本選手権で1500m、3位入賞という快挙を成し遂げましたが、このレースについて教えてください。)
一番驚いているのは自分自身ですね(笑)「たぶん入賞はできるかな」とは思っていましたが、有力選手たちがひしめく中で3位に入賞できるとは考えてもいませんでした。それに決勝のレースはスタートで出遅れてしまって、400mまで集団の一番後ろにいたんです。そこから徐々に上がっていくのは体力を消耗しますし、その影響でラスト100mもあまりスピードが伸びずじまいで...いろいろと課題の残る失敗レースだったといえます。

(課題が残る失敗レースで自己ベストですか(笑))
レース展開での課題もそうですけど、初めての日本選手権ということもあって、かなり緊張してしまいました。緊張すると口を触る癖があるんですが、その癖を知っている友人がテレビ中継を見た後で、「めちゃくちゃ口触ってたぞ」ってメールしてくれたぐらいですから、相当緊張していたんだと思います。

(緊張していても力を出せるジンクスみたいなものはありますか?)
スタート前に思いっきりジャンプすることぐらいですね。競技場などで実際に見てもらえばすぐに分かると思います。1人だけスタート前にピョンピョン跳ねていますから(笑)

(日本選手権での課題は今後どのように活かしていきますか?)
日本選手権などのレベルが高いレースで一緒に走っている選手たちに比べて、体のブレが大きいので体幹の筋力を強化するなどして、ブレが少ない走りに変えていく必要があるなと感じました。高校時代からフォームのことはほとんど教わったことがないので、これまであまりフォームのことは考えていなかったんですが、さらに高いレベルで戦うためには多少のフォーム改善は必要だな、と。
他にも猫背気味だったり、腕が開いてしまうなどの改善の余地はいろいろとありますが、無理矢理変えていくことはしません。自分が走りやすいフォームは変えることなく、自然な形で改善していけたらいいなと思います。

(普段の練習から気をつけていることは何かありますか?)
体幹を強化するための補強運動は人一倍やっています。あとは、インターバル練習の最後の1本は全力に近いスピードで走るようにして、絶対トップでいけるような意識を持っています。練習から常にそういった意識を持つことで勝負勘を養うことができると思いますし、それが結果的にレースにもつながってくるという考えの下で取り組んでいます。

(ニューイヤー駅伝では1区を任されましたが、初のニューイヤーはいかがでしたか?)
まず、1区の豪華メンバーを見たときは相当驚きましたね。ただ、そのおかげで逆に開き直ることができてあまり緊張することなく走ることができました。多少失敗しても、ある程度の順位で持ってくれば後続にはベテランの方々が控えていましたし。もちろん、走りながら力の差をまざまざと感じさせられましたが、楽しんで走ることができました。
あとは、沿道でのJRの応援の多さにも驚きました。JRの旗を持っている方や、名前を呼んで応援してくださる社員の方々がたくさんいてくださったので、すごく嬉しかったです。

(2区には同期の伊藤選手が控えていましたね。)
そうですね。一緒に入社して、この1年間一緒に練習してきたので、襷を中継できて嬉しかったです。チーム内で自分と伊藤は仲が悪いと言って、よくイジられていますが、そんなことは全くないですからね(笑)

(チーム内ではかなりイジられキャラが定着していますが...(笑))
同期にもイジられてますからね。特に京都出身の奥村からはツッコミどころが満載過ぎて、全てはツッコミきれないと言われるほどです。さすがは関西人だなぁ...と感心しています(笑)
でも、チームの雰囲気はすごく仲が良くて楽しいです。家族ぐるみでお付き合いさせていただいている方もいますし、実業団の中でも1番仲が良いのではないかなと思います。

(それでは、今後の抱負をお願いします。)
先ほども言いましたが、1500mではまだ優勝したことがないので、来年度は優勝を積極的に狙っていきたいです。また、引退するまでに一度は日の丸をつけて走りたいと思っているので、それに向けてやるべきことをしっかりとやっていきたいと思います。
まずは、2月の千葉クロカン、福岡クロカンでしっかりと経験を積んで、トラックシーズンは5000m、10000mの自己記録更新も目指します。故障することなく、練習を継続することができれば可能だと思うので、頑張りたいと思います!

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文句なしの1年目のシーズンをまもなく終えようとしている高谷選手。
その視線はすでに2年目、そして世界へと向かっています。
周囲からの期待や重圧も大きくなるかと思いますが、持ち前の明るさと真面目さで乗り切ってくれることでしょう。
高谷選手のスピードを生でご覧になりたい方はぜひ試合会場まで足を運んでいただき、声援を送りつつ高谷選手が起こす風を感じてみてください!


(取材・編集 八王子支社総務部広報課 駒野 亮太)

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